●出会い編〜meet Girl〜

 東京の街は冷たい。七月だけど。
 東京の街は固い。コンクリートだらけだけど。
 東京の街はこんなに人が溢れている。けれど誰も気づかない。多分、銅像と同じなのだろうと束音は考える。
 こんなはずじゃなかった。駅に戻る道を間違えてしまった。多分こっちだろうと安易な判断で道を決めてしまった。心が冷や汗をかきながらも進んだせいで後戻りすらできなくなった。
 歩くのに疲れたので、今はコンクリートの上に座っている。
 携帯を開いて時間を確認した。父親がホテルに戻ってくるのは二十一時過ぎ、それまでに戻れば困らせることはない。しかし、ホテルの住所を書いた紙を部屋に忘れてしまっていた。名前だけは分かっているが、所持金はあまりない。とことん間抜けだ。深いため息をついた。
 考えているうちに時間は過ぎる。
 父親に連絡をするわけにはいかない。会議の後は、親交会と言っていた。怒られるのは目に見えているし、深く呆れられるだろう。家に戻ればネタにされ、家族全員に笑われるのだ。
 それだけは避けたい。何とかしてホテルに戻らないといけない。
 警察は使えない。父親に繋がってしまう。目の前を通り過ぎる人にも声が掛けられないので、打つ手はないかもしれない。
 今まで何度も東京に来ていたが、経験を過信していた。自分が考えているよりも東京は複雑で日々進化している。二年前の面影はほとんどない。年を取ったせいもあるが、前に訪れた時の情景とあまり重ならない。
 充電が二個になって大分経つ。開いて閉じる、を長い時間繰り返していることに気づいた。
 フレーズを思いついたので、メール画面を起動させ素早く打った。保存してから、途中で止まっている作詞に使えそうだと、カバンからファイルを取り出した。量は少ないが今までに書いた歌詞をファイリングしている。清書したものと、試行錯誤した用紙も一緒にファイルしていた。
 今までに作った歌詞を読んでいると、心が少し落ち着いた。その一枚を手に取ろうと、リングを開いた。その瞬間手を滑らせて、ファイルを落としてしまった。何枚かが床に散らばる。
 早く拾わないと人に踏まれると素早く地面を蹴った。運動を長年やってきたことと授かった運動神経で、すぐに回収した。最後の一枚を取ろうとしたら、車が通り過ぎた。そのスピードによって起こされた風に紙はもう一度舞った。
「あっ」
 思わず小さな声を漏らした。紙が舞う方向に人がいた。このままだと当たってしまう。掴もうと手を伸ばした。指先に触れることもなく、紙は空を流れた。
「ん?」
 手に取った男が言った。
「すみません! それ、自分ので……」
 紙の向こうから現れた男のきれいな顔に束音は言葉を失った。
 東京には色んな顔した人間が溢れているけど、体が硬直するほどの美しさに会ったことはない。
「これ、君の?」
「……あ、はい。風で飛んじゃってすみませんでした」
 受け取ろうと手を出した。彼はすぐに返すことなく、内容に目を向けた。何も言わずに返してくれると思ったが、そうはしなかった。食い入るように見ている。
「あ、の」
「ちょっ、イズ、ジュン見てや」
 一緒にいた二人の男に話しかけた。
「え、ちょっと」
「何してんだよ。返してやれ」
「あ、イズ何すんねん」
 渋めの男が紙を奪い、束音に差し出した。
「ありがとございます」
「いえいえ。じゃ、行くか。お前まだ終わってないんだぞ」
 イズはたしなめるように男に言った。その足を動かし始めたが、男は動かなかった。
「今、終わったで」
「そ、じゃ早く戻るぞ」
「この子」
「へ?」
 紙を持ったまま立ち尽くしていた束音は突然腕を掴まれ、調子の外れた声を出した。
「それ君が書いたんやろ?」
「まあ、一応……」
 質問の意図が掴めなかったが正直に答えた。
「曲の感じと詞が合ってる」
「……はあ、いきなりお前何言ってんだよ」
 イズが深く眉間に皺を寄せる。
「読んでみ?」
 男は束音の手から紙を奪い、イズに渡した。少し後ろに下がったところでもう一人の男が欠伸をした。
「おい、断りもなく」
「ええから」
 イズは困った様子で、紙に目を移した。読んでいくうちに表情が真剣になった。
「マジでこれ、君が書いたの?」
 束音はためらいながらも頷いた。
「誰かが使ったりしてる?」
「い、いえ」
「悪くないな」
「そやろ」
 男の目がいっそう輝いた。多分同じぐらいの年だ。対照的に他二人は確実に高校を卒業している。妙な組み合わせだ。会話から察するにバンドでもやっているのだろうか。
 束音は体を跳ねさせた。ポケットの後ろに入れてた携帯が音を立てたのだ。いつでも気づけるようにバイブを設定していた。
 メールは父親からだった。
〈ホテルに戻れたか?〉
 短い一言だった。顔から血の気が引いていく。時間は十九時をとうに過ぎていた。
「ごめんなさい、うち戻らなきゃ」
 束音は言葉を交わしていた男達に言った。
「あ、ほんまや。中学生がこんな時間は危ないな」
「……高校なんですけど」
「そうなんや、可愛いな」
「と、にかくうちは行かないと、怒られる」
 思考が一気に現実に戻った。事前に交わされていた会話はとうに彼方へ消えていた。
「どこ? 話したいこともあるし、送るで」
 男は陽気な口調で言った。
「いや、困ります。見知らぬ人にはついていけません」
「大丈夫。俺ら悪いことせんから」
 微笑まれて束音は何を言ったらいいのか分からなくなった。口ごもって、下を向いた。
「初対面の男三人なんて、警戒するに決まってるだろ。ごめんね。こいつ常識なってなくて。本当に家はどこ?」
「家は、ちょっと……」
「まさか家出?」
「違いますよ! 観光に来てるんです。父と。二十一時までにホテルに戻らないと怒られるんです」
「じゃあ、せめて駅まで。何駅?」
 とりあえず降りた駅を言った。
「え、遠くない? そこの駅のほうが近いよ……もしかして迷子か?」
 自分でも表情が強張ってしまったのが分かった。
「あーなるほどね。ホテルの名前は?」
 呟くように束音は言った。
「聞いたことないな。まあ、探せばすぐ見つかるだろ。ジュン、ちょっと頼む」
 我関せずな態度を取っていたジュンは顔を上げて頷いた。携帯を開いて、ボタンを操作し始める。
「見つけた」
「ああ、割と近いな。そこの駅で乗って、少しか。送っていくよ」
「え、でも……」
「分かった。俺らが信用できないなら、お金あげるからタクシーにこの住所言えばいい。それならいいでしょ」
「お金なんてもらえないですよ!」
「でも、俺らは君を一人で帰すには不安がある」
 束音は逡巡した。目の前で自分のために動いてくれた人達を信用していないわけじゃない。ただ迷惑をかけることが心苦しい。でもこのままだと父親に叱られる道を辿ることになる。
「お願い、してもいいですか? 一人は不安で、怖くて」
「もちろんや」
 日はすっかり落ちていたのに、彼は輝いていた。いや、彼らは輝いていた。勇気を出して言った言葉に三人が柔らかく微笑む。その微笑みに胸にあった不安が、じんわりと溶けてなくなるのを感じた。

 

束音(懐かしい夢を見た。次の日にもう一度会って話をしたっけ。そこから、か。あ、もうすぐ着く……)

Aoki「束音!」
Iz「早くしろ、気づかれた束音を巻き込む」
Jun「持つよ」
束音「あ、ありがとうございます」
Iz「疲れただろ? 新幹線代ぐらい俺らが出してあげるのに」
Aoki「そうやで。いっつも束音は断るんやから」
束音「駄目です。これ以上皆さんに迷惑はかけれません」
Iz「少し寝たら。着くまで時間かかるし」
束音「大丈夫です。さっきまで寝てたんで。それにいい夢見れて気分が高揚してるんです」
Iz「どんな夢?」
束音「素敵な人達が出てきました」
Aoki「どんな人や?」
束音「うちの世界を変えてくれた人達です」
Aoki「それめっちゃ気になるやん」
Iz「教えてくれんの?」
Aoki「束音笑ってる」